ゴミ女と呼ばれた私が片づけられるようになるまで

ずっと片づけられないことで悩んできたけど、もう片づけで悩まない!かわる!と決めました。

本屋で光って見えた本

ある日

ふと本屋へ入った。

 

片づけの本のコーナーで

一冊

光って見えた本があった。

 

吸い寄せられるように

手に取って

パラパラとめくって読んでみると

ある箇所で目が止まった。

 

「片づけられらないのは

あなたのせいではありません」

と書いてあった。

 

「え?え?え?」

 

そうなの?

私のせいじゃなかったの?

 

思わず涙がこぼれそうになって

すぐにその本を買って

家に帰って

むさぼるように読んだ。

 

とても心に響いた本だった。

この先生の片づけ方で片づけたい!

 

私はすぐに

その先生へ

感想を書いてメールを送った。

 

すると

程なくして

マネージャーさんからメールが来て

その先生の片づけセミナーへ

招待していただいた。

 

私は嬉しくて

セミナーへ参加させてもらった。

 

実物の先生は

とても素敵で

女性として

とても尊敬できる方で

私は一瞬でその先生のファンになった。

 

その先生は

私のことを

決して

「片づけられない人」

とは見ないで

可能性のある人として

接してくれて

私はとても嬉しかった。

 

片づけ方も

とても心を大事にしていて

理にかなったものだった。

 

ただ

私はモノが多すぎて

とても一人では太刀打ちできない量だった。

 

ある日

その先生から

モニターとして片づけさせて欲しいと

連絡をいただいて

喜んで二つ返事でお受けした。

 

その時はキッチンを一緒に

片づけていただいた。

 

先生はむやみやたらに

捨てることはしなかった。

 

私は安いとついラップを買ってしまって

在庫がとても多かった。

そんな私に先生は

「このラップがなくなるまでは

しばらくラップを買わないでね」

とバカにすることなく

私に優しく言ってくれた。

 

片づけられない私に

こんなに優しく丁寧に

尊重して接してくれたのは

後にも先にも

この先生ただ一人だった。

 

あれから引越しをしたけれど

未だに我が家のキッチンの配置は

その時のまま

使いやすく定位置になっている。

 

本当はその後

ずっと仲良くしていただけるはずだったけど

私の知らないところで

先生とのご縁を

意図的に切り離されていたことを

ずっと後になって知った。

ショックだったこと

その日は

子どもたちを連れて

初めてキッザニアへ行った。

 

夫も一緒に行ったが

子どもの面倒は見ずに

ずっと親が待つコーナーのところで

座って本を読んでいた。

 

私は早朝から

ずっと立ちっぱなしで

子どもたちを見ていたので

さすがに疲れ切ってしまい

夫に

「少しだけ交代してくれない?」

と頼んだが

「無理」

と言われた。

 

結局その日は一日中

立ちっぱなしで

子どもたちの様子を見守っていた。

 

帰宅して

寝ていた時

急に心臓がバクバクしてきて

手足が冷たくなって

頭もスーッと冷たくなって

息ができなくなった。

 

「え?私は死ぬの?」

と怖くなり

寝ている夫に

「心臓が苦しくて脈がすごく早い」

と助けを求めたけれど

「そのうち収まるよ」

と眉間にシワを寄せて言われた。

 

このまま死ぬかもしれない!

 

その時に一番に思ったのは

「子どもたちのこと」

ではなく

「実家の両親のこと」

でもなく

 

「私は片づけられないまま、死ぬんだ」

ということだった。

 

とてもショックだった。

私はいつか死ぬ時に

「片づけられなかった」

と思って死ぬのか。

そんなの嫌だ。

 

その後

夜中にリビングへ行き

テレビをつけて

何とか自分を落ち着けようとした。

虚しかった。

 

そうか

やっぱり私は

片づけられない女

なのだ。

 

このまま死ぬのは

絶対嫌だ。

そう思った。

ここに至るまで #2

私が夫に怯えるようになって

完全にパワーバランスが

夫に傾いた。

 

「ここに行くから地図を調べて!」

と夫に言われ

震える手で調べていると

「まだ探せねーのかよ、

使えねーな💢」

と舌打ちされる。

 

時には

私の隣に置いてあった

段ボールを思い切り蹴られて

心臓が止まりそうになった。

 

確かに

私は鈍臭いし

頭の回転が悪いし

容量が悪い。

 

夫が怒るのも仕方ないのかもしれない。

そのうち

私は生きる価値がないと思うようになった。

毎日

こんな恐怖におののいているくらいなら

消えてしまいたい

とまで思うようになった。

 

子どもの前では

大声でやり合うのはやめようと

私はひたすら

夫の暴言に

無言で耐えた。

嵐が過ぎるのを

ひたすら待った。

 

ある日

子どもが言うことを聞かず

私は衝動的に

窓から飛び降りようとした。

 

その時

3歳の子どもが

「お母さん、死なないで!」

と私の足を必死につかんで

私はハッと我に返り

子どもに謝った。

 

大変なことをしてしまった。

子どもにトラウマを与えてしまった。

なんて申し訳ないことをしたんだろう。

 

それから

夫からのモラハラの恐怖に加え

子どもに対しての

申し訳ない氣持ちで

ますます生きるのが苦しくなった。

ここに至るまで #1

夫の転勤で

見知らぬ土地へ

引っ越してきた。

 

親戚も

友達も

知り合いも

誰も頼れる人のいない土地。

 

夫は朝早く出かけて

夜は12時を超えないと帰宅しないから

頼れるはずもなく

3歳と1歳の子どもと

生き抜かなければならなかった。

 

既に

夫は仕事のストレス発散の場がなく

私に八つ当たりしていたので

段々

夫が帰宅する時間になると

心臓がバクバクしてきて

過呼吸になって氣が遠くなった。

 

帰宅すればしたで

機嫌が悪いのが

顔を見れば一瞬でわかる。

 

心臓がバクバクしながら

遅い夜ご飯の用意をしていると

「きったねーな、この部屋!」

と怒鳴られる。

 

その瞬間

体がビクッとなって

心臓がギュッと締め付けられる。

 

すみません

すみません

すみません

 

昼間

なんとか子どもの面倒をみて

なんとか子どもと生き抜くことしかできず

その頃の私は

氣力体力が恐ろしいほどなく

「生き力」

が全くなかったように思う。

だから

最低限の家事しかできていなかった。

 

そんな時に限って

夜中に子どもが熱を出す。

 

我が家の子どもは二人そろって

下手すれば呼吸困難になる

持病を持っていた。

 

夜中に

恐る恐る夫を起こすと

「は?うるせーな!」

と言って助けてはもらえなかった。

一緒に行って欲しいなんて言わない

せめて

寝ている子どもの様子を見て欲しかったけど。

 

そうだよね。

昼間仕事をしているし

明日も仕事だから

仕方ないよね。

 

私は熱を出した子どもと

もう一人の寝ている子どもを起こして

二人を連れて

夜中に必死でタクシーを捕まえて

病院へ行くことが多かった。

 

治療を終えて

朝方帰ると

イビキをかいて寝ている夫を見て

悲しくなった。

「家族じゃないな。」

なかば諦めに似た氣持ち。

 

こんな時

誰かに話を聞いて欲しいけれど

心配をかけて

親不孝になるので

実家の両親には話せない。

 

ましてや

昔からの友達に

こんな悩みを言える訳がない。

新しい土地には知り合いもいない。

 

その頃の私は病んでいたと思う。

 

とにかく

子どもを守らなくちゃ

と思うことで

なんとか生きていた。

 

少しでも部屋を明るく

と思って買って

大事に育てて

癒されていた

小さな観葉植物。

 

ある日夫が

「こんなもの買いやがって!」

と私の目の前で

その観葉植物を

ゴミ袋に投げ捨てた。

 

何かがプツンと切れた瞬間だった。

妹の死

毛布事件が影響したのかは

わからないけど

私は捨てることが苦手になった。

 

そして

小学校高学年の時

病気で妹が亡くなった。

夢なのか現実なのか

全然実感がなくて

ふわふわしていた。

 

ただ

目の前で

いつも気丈で優しい母が

妹の名前を呼びながら

うなされて

起き上がれずにいる。

 

「お母さんが死んでしまう!」

 

私はとても心配で

どうしていいのかわからなくなった。

 

どうにかして

母を助けないと!

そればかり思っていた。

 

妹が亡くなって

しばらくは荷物の整理なんて

出来なかった。

 

5年以上経ったある日

母は意を決して

妹の持ち物の整理を始めた。

 

私は心配で

すぐ隣で見守っていた。

 

途中までは

なんとか片づけていたけど

妹が愛用していた帽子が出てきた途端

母は

その帽子を抱きしめて

その場に泣き崩れた。

辛かった。

ギューッと胸が締め付けられて

息ができなくなった。

 

この帽子を捨てたら

もう妹との繋がりが

なくなってしまうのではないかと

悲しくて苦しくなった。

 

だから今でも捨てるのが苦しい。

 

え?なんで?

 

と結構小馬鹿にされるけど

やっぱり私には捨てられない。

捨てようとすると

胸がギュッと苦しくなって

心と体がフリーズするのだ。

私だって本当に辛い。

モノと私

小さい頃から

あまり片づけは得意ではなかった。

 

なんでも大事にとっておくタイプ。

 

赤ちゃんの時から使っていた

お氣に入りの毛布。

小学校に入学して間もなく

ある日帰宅したら

その毛布がなかった。

どこを探しても見つからなかった。

ショックだった。

 

泣きながら母に聞いたら

「もう捨てたよ。」と。

 

え?

私は捨てるなんて言ってない!

返して!!!

 

しばらく悲しくて泣いた。

でも、もうその毛布は帰って来なかった。

 

いつもいつも

私が楽しい時も

悲しい時も

寂しい時も

いつも一緒だったのに。

 

さよならも言えずに

私は毛布とお別れしなければならなかった。

 

代わりに母が

ピンクの大きな毛布をくれた。

「もうお姉ちゃんだから大きい毛布だね。」

と言われたけど、

そんな毛布なんて欲しくなかった。

 

でも、もうあの毛布は帰って来ない。

あの毛布は一人で

寂しく星になったのかな?

 

そう思うと

一瞬息ができなくなって

胸がギュッと苦しくなった。

自分の分身がもぎとられたような

悲しさと苦しさ。

 

でも、どんなに泣いても叫んでも

もうあの毛布には二度と会えない。

 

さよならも言えないお別れなんて

絶対嫌だと思った。

絶対ごめんだ!

 

相当後になって

母とあの毛布の話になった。

そうしたら

もし私が半狂乱になったら大変なので

しばらくの間

こっそり毛布を隠しておいたらしい。

 

そんなことしないで欲しかった。

ちゃんと私の氣持ちを聞いて

私の氣持ちに寄り添って

私がちゃんと納得してから

捨てて欲しかった。

 

だから

私は未だにモノが捨てられない。

二度と会えないくらいなら

捨てない選択をする。

心の傷は今も深く残っているのだ。

もう片づけられない看板を下ろします!

今まで

長い間

片づけられないことで

ずっと悩んで苦しんできました。

 

周りからバカにされたし

パートナーからは

「このゴミ女!」

と罵られました。

 

私のせいでみんなが不幸になっている

と生きる価値がないと思ってきました。

 

だったら片づければいいじゃん

と思われると思うのですが

そんなに単純なことではなかったです。

それができたら

今までこんなに苦しんでこなかった訳で。

 

これを克服するために

どれだけのセミナーへ行ったことか。

もちろん有名どころの方には

ほとんど会っていると言う。

(決して自慢ではありません)

 

でも!

でもです!

 

私と同じように苦しんでいる方もいて

私はこの片づけられないカラクリを

紐解こうと研究してきました。

 

ここで行動していく様子を

記録していこうと思います。

 

迷ったら捨てる

を基準に

逃げないと決めました。

 

どうぞよろしくお願いいたします!